僕が子ども食堂に関わり出したころから知っている男の子が高校に合格!のうれしい知らせがありました。
なんと僕が31年前に卒業した高校と同じ学校なので同窓生になりました(^^)
彼が最初に会ったのは、小3の時。
ぼくが、日本の子ども6人に1人が貧困状態という報道を見て、まだ半信半疑だったころです。
40歳を過ぎて、人生の半分を過ぎたので、今後は社会貢献して行こうと思っていた時にちょうど重なって、
生きづらさを感じながら生きている子がいるならば、話し相手くらいにはなれるかなと思い、
偶然ネットで発見したNPOさんに、ボランティアさせてほしいと連絡し、子ども食堂に関わり始めました。
そこに兄弟3人で現れたのが彼A君です。
A君たちは、最初他の子と交わろうとせず、部屋の隅っこで小さく固まっていました。
僕は、少し離れたところで見守っていましたが、足元にあったサッカーボールを彼らの方に軽く転がすと蹴り返してくれました。
なんとなく、パスの交換が繰り返されて、声をかけると少しだけ話しをしてくれたのを今でも鮮明に覚えています。
あとになってNPO代表の方がお話ししてくれたのですが、彼らの家は、屋根が腐食して穴が開いていて、寝るための布団もなかった聞きました。
本当なの?今の日本で?とその時は感じましたが、本当でした。
貧乏が悪いわけではありません。
でも、極端な貧困のせいで生きづらさを感じている子どもがいるなら、すぐ近くで暮らす我々大人が声をかけてあげるべきではないかと強く思い、今ではそのNPOの理事にもならせていただき関わっています。
A君とはその後、よく話しをするようになりました。彼は生きていくために、プライドがどんどん高くなっていきます。当然ですが、男の子によくある反抗期もやってきて、中学生の時に、ちょっとしたことが気に入らなくて、僕に殴りかかってきたのは懐かしい思い出です(^^)
自分の息子にもそんなときがあったし、自分もはるか昔にそんなときがありました。どうにもならないむしゃくしゃな気分をどこに向けていいか分からないことはあるものです。周りのスタッフは驚いていましたが、僕は、「中学生の男の子なんてこんなもんだよね」という感じだったので、翌週の子ども食堂では彼と普通に話していて周囲が拍子抜けしていたの覚えています。
A君は、小学校2年生から中学卒業まで数えるほどしか学校に行っていません。中学卒業の際に、進学をすすめましたが、親が決めてきた工場で働くことになりました。彼は僕らのように知り合いには強い態度も取れますが、見知らぬ人とかかわるのは極端に苦手でした。あるとき彼と食事に行ったとき、殻になったお水を頼んでほしいというので、自分で言いなよと言ったら、もじもじして結局店員さんに声を掛けられませんでした。そんな彼なので結局その工場には、働きに行けず、何とか知り合いががいるところでアルバイトをさせてもらっていたようです。
そんな彼が、定時制高校を受験すると聞いたときは、びっくりしました。どういうこと?誰が口説いたの?彼にどんな変化が?何かのきっかけがあったにせよ、結局は彼自身が決意したのでしょう。そして見事合格を勝ち取ったのです!
おめでとう!
大きな一歩を踏み出したね。その高校、俺も出たんだよって彼に言う機会はまだありませんが、その時を楽しみにしています。こっちはワクワクしてるのに、彼はきっと「フーン」とそっけないだろうけど。おめでとうのラインに、ありがとうと一言返ってきた時には、成長しているなあとうれしくなりました。