マイスター社長です。
火曜と木曜の夜、子ども食堂でボランティアをしています。
子どもたちと一緒に遊んだり(遊んでもらったり?)、お話ししたり(しゃべってもらったり?)して、子どもたちの帰りのドライバーをしたりしています。
なぜ子ども食堂でボランティアをするか?ですが、
ある時ふと思ったんです。
自分の子どもたちと家族で何気なく過ごしているときに。
今日は焼き肉が食べたいね、などと話しながら、
みんなでテレビを見て、
家族の一員のわんことボール遊びなんかしているときに。
もし、すぐ近所に、生活に困って膝を抱えている子どもいるとしたら
ここで穏やかに過ごしているだけでいいのかなって。
生きてくのが大変、って感じている子どもがすぐ近所にいるのなら、
すぐ近所なのに、寄り添ってあげようともせずに
毎日過ごしていていいのか、
自分だけ良ければ幸せなのかって。
僕は、生きづらさを感じながら大人になりました。
でも全部自分のせいです。
子どものときにみんなと一緒になって遊ぶのが苦手でした。
みんなと楽しく遊びたいのに、です。
みんなができているタイミングで楽しいことを言ったりできなくて、
あまり必要とされていないのでは?
という居心地の悪さを感じながらも、
でも一緒に楽しく過ごしたい!という願望をいつも抱えていました。
これも自分のせいです。
子ども時代は、自分の居場所を見つけるのにいつも必死でした。
野球がヘタ、面白いことも言えない、顔も残念で太ってるなどコンプレックスだらけ。
今にして思えば、努力不足も甚だしいとは思いますが、
その頃の自分は少しづつ努力をして何かを変えていくということを知りませんでした。
まったくもって自分のせいです。
大人になると、人との距離感の取り方も器用になって、
ストレスにならない程度に集団に関わったり、
独りで気楽に過ごしたりできるようになりました。
音楽を聴くことに勝ち負けはありません。
だからかどうかは分かりませんが、
音楽が好きで、たまにライブに行っています。
ロックやパンクのライブでは、
どうやら生きづらさを感じて生きているお客さんが多いらしく、
ステージの上から
「生きてろよ」などとあんたに言われたくないよと思うような、
そうだよね、ありがとうと救われたようなこっ恥ずかしいMCを言われたりします。
「友達助けるのに理由なんかいらねえよな」なんて当たり前のことを当たり前に言われて
恥ずかしくて言えないことを言ってくれてありがとうとひそかに思ったりします。
日本では7人に1人子どもが、一人親の家庭では2人に1人の子どもが貧困状態だそうです。
ということは、僕の近所にもそういう子たちがいることになります。
あるライブで前に立っていた人のTシャツに
何もしないお前に何が分かる
何もしないお前の何が変わる
と書いてあり、ハッとしました。
何もしないでいいのか?
それでお前は笑顔でいられるのか?
そう感じて、子ども食堂にお手伝いに行こうと決めました。
僕らの子ども食堂は、龍ヶ崎市で活動しています。
子どもたちは週2回、無料でおなかいっぱいに食べて、遊んだり宿題したりして自分の好きなように過ごしています。
お近くにお住いの方、一緒にボランティア活動しませんか?
子どもたちと一緒に過ごしてくれる「あそびボランティア」を大募集しています。
ただ子どもたちを受け入れて、楽しく遊んでお話ししてくれるだけで大丈夫です。